(元)湯原町史跡(元)町指定文化財
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享保十一年(1726年)の山中一揆により処刑された犠牲者51名の霊の供養のために法華経の一字一石塚になぞらへて
健立された供養塚
碑 文 正面(大乗妙典書写一石一部塚)
裏面(享保十二丁末年九月教主)
台石の刻文 (享保十二年正月十二日・十三日)
次に処刑者の法名と俗名が刻まれており50名の名前が読みとれるといわれている。
塚は、一揆後約百年の天保四年(1833年)大林寺の住職によって健立されたが年月日を享保十二年九月として藩の役人に見せ、本当の年月日は別に建てられた石の地蔵様に残している。
場所:真庭市黒杭 大林寺
旧記古伝による文禄初年(1590年代)向湯原村(現在字向湯原)の若者三井彦四郎に討たれた大はんざき(大山椒魚)の霊を祀っている。
塚原の地名の基となった古墳といわれる古墳で円墳、周囲70m、中央頂上にて基の宝魚印塔がある。
(伝説 はんざき物語)
「鯢(はんざき)大明神」の神座の下は向湯原古墳といわれ、並んで大山椒魚保護施設(はんざきセンター)がある。
場所:(元)湯原町大字豊栄 大山椒魚保護センター
塚原古墳
場所:真庭市種塚原
飯山城跡
室町時代の末期元亀・天正(1570〜1590年代)の頃の戦国期の山城跡で毛利家の武将・安芸盛重(別称杉原)が拠点とした所で石塁・空堀跡等が現存している。
場所:真庭市藤森塚谷845の1
湯本火のかま古墳
南向きの斜面に位置している。かなり谷奥で古墳からの眺望は良くない。径9mの円墳で山側に幅3mの周溝を
もつ。南西に開口する横穴式石室があり、石室全長は4.80m、奥幅1.70m、同高さ1.5m、入り口幅
1.10mである。石室・墳丘の保存状態は良い。(出土品:須恵器片)
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